オトロス-その他-


※このページではジャンル分類のできないアーティストを国別で紹介しています。



<メキシコ>

Reik(2003年結成)
 2003年にバハ・カリフォルニア州Mexicali出身のJesús Navarro Rosas、Julio Ramírez Eguia、Gilberto Bibi Marínの3名が結成。プロデューサーのAbelardo vázquez Ramosがデモ公演を募集したところ、JesúsとJulioの2人組であったReikが参加して好評を得て、「Yo Quisiera」、「Noviembre Sin Ti」が全国的にヒット。2004年にGilbertoが加入。2005年5月にファースト・アルバム『Reik』を発表。2006年11月に2枚目のアルバム『Secuencia』を、2011年4月にシングル「Peligro」を、その後7月にアルバム「Peligro」を制作。「Cálido y Rojo」、「Déjate Llevar」、「Igual a Nada」を経て再びバラードに戻り、「Creo en Ti」を制作。その後、「Te Fuiste de Aquí」、「Con la Cara en Alto」、「Ciego」を発表。2013年3月にSamoとの共演で「¿De Qué Me Sirva la Vida?」を制作。2014年4月Christianelとの共演で公演、アルバム『TBA』を制作。

Yo Quisiera
Noviembre Sin Tí
Cálido y Rojo
Déjate Llevar
Con la Cara en Alto



Alejandro Fernández(1971年~)
 1971年4月24日、メキシコ・シティに生まれたが、出生登録ではハリスコ州のグァダラハラ出身。本名はAlejandro Fernández Abarca。両親はともに音楽家、父親はRancheroの歌手。当初はメキシコ伝統的なRancheraやMariachiを得意としたが、後にラテン・ポップに方向変更。
 Valle de Atemajac大学で建築学を学ぶ。1976年に父親が音楽家として紹介、「Alejandra」を歌う。1989年には「México-Voz y Sentimiento」を制作、同年父親とともに映画『Mi Querido Viejo』の制作に参加。1991年に歌手として正式にデューし、アルバム『Alejandro Fernández』を発表。1993年にアルバム『Piel de Niña』を発表。
1995年にアルバム『Que Seas Muy Feliz』を、1996年には『Muy Dentro de Mi Corazón』を、2000年にアルバム『Entre TusBrazos』を、2002年には『Un Canto de México o 100 Años de Música Mexicana』を、2004年に『A Corazón Abierto』を、2006年にはベネズエラのFranco De Vitaとデユエットで「Te Veo Venir Soledad」を発表。2007年には米国のBeyondéとデュエットで「Amor Gitano」を制作、同年7月には『Viento a Favor』を制作、ヒット曲となった「Te Voy a Perder」、「No Se Me Hace Fácil」、「Eres」を収録。2009年にはカナダのポルトガル系ミュージシャンのNelly Furtadoから誘われ、アルバム『Mi Plan』作成に協力して「Sueños」を発表。また同年12月にポップ系の『Dos Mundos(Evolución)』と、Ranchero系の『(Tradición)』の2枚のアルバムを制作。2010年には『Dos Mundos(Revolución)』を制作。2012年にはスペインのミュージシャンであるAntonio Orozcoとのデュエット曲「Estoy Hecho de Pedacitos de tí」をOrozcoのアルバム『Diez』に収録。その後も「Dos Mundos」名での海外公演を継続、メキシコ政府の観光大使に任命された。

Amor Gitano
Te Voy a Perder
No Se Me Hace fácil
Eres
Sueños



Maldita Vecindad y los Hijos del Quinto
(1985年結成、2011年解散)
 1985年にメキシコ・シティで結成されたロック、Ska、レゲエ、パンク、ラップ、ブルースや、ダンソン、ボレーロのようなメキシコ伝統音楽を融合したリズムを創造。「Rock e tu Idioma」の中で生まれたメキシカン・ロックの先駆者的存在。代表曲は「Mojado」、「Morenaza」、「Un Poco de Sangre」、「Don Palabras」、「Pachuco」、「Un Gran Circo」、「Kumbala」。2011年12月に予定されていたコンサートをキャンセル、事実上の解散状態に入ったが、2014年に30周年記念コンサートを実施するため再結集。メンバーは、Roco(1985-2011)、 Pato(1991-2011)、 Aldo Acuña(1985-2011)、 Sax(1985-2011) 、Lobito(1985-1993)、Tiki(1985-1991)、José Luis Paredes Pacho Pacho(1985-2002)。

Morenaza
Mojado
Un Gran Circo
Don Palabras
Pachuco



Allison(2002年結成)
 2002年にメキシコ・シティで結成される。メンバーはErik Canales、Diego Stommel、Abaraham “Fear” Jarquin、Alfieの4名。バンド名はErikが命名。パンク・ポップ、オルターナティブ・ロック系。メキシコ・シティのロック・フォーラムである「Foro Alicia」で演奏し始める。2003年にマネージャーのPaco Zepedaと出会い、国際的にデビューするきっかけとなる。2005年にデビュー・アルバム『Allison』を発表。2008年に2枚目の『Memorama』を制作、2012年10月に3枚目の『120km/h』を制作。

Luna Amarga
Aquí
Frágil
Memorama



Leonel García(1975年~)
 1975年1月27日、メキシコ・シティ生まれ。両親はタンピコ出身。本名はLeonél García Núñez de Cáceres。スペイン語フォーク、ポップ、バラーダの歌手・ギター奏者。1990年代に作曲を開始、Noel Schajrisとデュエット“Sin Bandera”を結成、2008年に解散。León Polar名でソロ活動、その後Leonel Garcíaに変更。

Sirena
Recuerdas
Que Lloro
Para Empezar
Tócame



Joan Sebastián(1951年~)
 1951年4月8日、ゲレーロ州北部のtexco de Alarcón町のJuliantla出身。本名はJosé Manuel Figueroa。歌手・作曲家・俳優。別名“rey del Jaripeo”、“Poeta de Juliantla”、“Huracán del Sur”で知られる。Guanajuatoの学校に入学し、在学中に音楽と接する。その後郷里に戻り、Morelos州の宗教系学校の寮に入寮。神父になることを志望、14歳の時にクエルナバカのSeminario Conciliar de San Joséに登録したが、のちに神父になることを放棄。
 17歳の時に音楽活動を開始し、Seminarioを放棄。モレロス州内のホテルに就職。1968年に勤務先で歌手・女優のAngélica Maríaに見出され、音楽家のEduardo Magallanesに紹介される。メキシコ・シティでプロデューサーのChucho Rincónと知り合い、4か月後に最初のアルバム『Sueño y Lucha』を発表。その中の「Descartada」がヒット。その後、「Cámbiate el Nombre y Nadie lo Sepa」がヒット。
 2002年にアルバム『Lo Dijo el Corazón』を発表しグラミー賞を受賞。2006年にバンド“Más Allá del Sol”とアルバム『Invertario』を制作。2007年にはランチェラ系のアルバム『Para Siempre』を発表。同年アルバム『No Es de Madera』を制作。その中の「Amor Sin Maquillaje」(同名のテレビドラマの主題歌)がヒット。

Descartada
Secreto De Amor
El Rey Del Jaripeo



Amparo Ochoa(1946~94年)
 1946年9月29日、メキシコのシナロア州クリアカン生まれ。メキシコのヌエバ・カンシオン運動の歌手。1965年にクリアカンで開催された音楽祭で「Hermosísimo Lucero」を歌って好評を博す。シナロア州各地で教員として勤務。1969年に音楽に専念する目的でメキシコ・シティに転居、UNAM音楽学校で学ぶ。その頃より社会的な内容のテーマを扱うようになる。1971年に最初のアルバム『De laMano del Viento』を制作、1974年にはチリ人民との連帯を表明するアルバムを発表。海外公演も多くこなし「メキシコの声」と呼ばれるようになる。1994年2月8日、癌が原因で死亡。享年47歳。

De la Mano del Viento
La Maldición de Malinche
Mujer



Motel(2003年結成)
 2003年にメキシコ・シティにおいてGuillermo “Billy “MendezとRodrigo Dávila Chapoyによって結成されたポップ・ロック・バンド。メキシコ・シティ市内のバーなどで演奏し始める。2006年にデビュー・アルバム『Motel』を発表、2007年には『17』、2010年に『Multicolor』、2013年に『Prisma』を制作。

Dime Ven
Olvidame
Y Te Vas
Donde Te Perdí
Esferas





<ブラジル>


Jorge Ben Jor(1945年~)
 1945年3月22日、リオ・デ・ジャネイロ生まれ。本名はJorge Duilio Lima Meneses。ジャンルとしてはサンバ、ファンク、ロック、ポップ、マラカトゥ、ボサ、ラップ、サンバ・ロックをカバー。15歳の時に教会のコーラス隊に参加。18歳でギターを入手してパーティーで歌うようになる。
1963年に「Más Que Nada」を歌い、これがフィリップ社に気に入られ、まもなくファースト・アルバムを発表。「Más Que Nada」は世界的に大ヒット。1972年にアルバム『A Tábua de Esmeraldas』、1975年に『Solta o Paváo』、1976年に『Africa Brasil』、1977年に『Tropical』、1979年に『Salve Simpatia』を発表。また、1995年に『Homo Sapience』、2006年に『Sou da Pesada』等を」制作。
1989年に芸名をJorge Benjorに変更。この時期から曲風はポップとスウィング系に傾斜。飲酒・喫煙もせず、自転車での走行を好むなどシンプル・ライフの実践者。

Más Que Nada
Charles Anjo 45
Que Pena
País Tropical
Fio Maravilla
Umbabarauma
Taj Mahal



Carlinhos Brown(1962年~)
 1962年11月23日、バイア州で生まれ、サルバドル近郊で育つ。本名はAntonio Carlos Santos de Freitas。作曲家・パーカッション奏者。本人によれば、芸名はHenry”Box”Brownに対する敬意を表す。アフロ・ブラジル系のあらゆるパーカッションの演奏が可能。サンバ・レゲエの創設者でもある。1985年にはディスコの「Estrangeiro」でCaetanoVelosoのバンドのメンバーになる。
 1990年代にはTimbaladaグループのリーダーとして名を知られる。同グループは100名以上の歌手とパーカッション奏者のグループでTimabaleirosと呼ばれた。シングル8枚を制作したほか、多数の海外公演を実施。1996年にアルバム『Alfagamabetizado』、『OmeleteMan』を制作。Axéと呼ばれたバイアの音楽現象を代表する音楽を形成。

Já Sei Namorar
Garoa
Omelete Man
La La La
Soul By Soul



Ivan Lins(1945年~)
 1945年6月16日、リオ・デ・ジャネイロ生まれ。本名はivan Guimarás Lins。ボサノバ、ジャズ、ソウルの作曲家・ピアニスト。18歳からギターを演奏。大学では化学を勉強。1969年に音楽活動を開始。フィリプ社から3枚のアルバム『Agora』、『Deixa o Tem Seguir』、『Quem Sou Eu』を制作。Vñitor Martinsと協働し、4枚目のアルバム『Modo Live』、『Chama Acesa』を制作。歌手としても「Abre Alas」、「Somos Todos Iguais Nesta Noita」、「Comecar de Novo」(テレビドラマ『Malu Mulher』の主題歌)をヒットさせる。
 1970年代には政治的テーマの曲も多かったが、1980年代からは国際的な場での活躍が拡大。George Benson、Ella Fitzgerald、Quincy Jones、Carmen MacRae、barbra Streisand、Sarah Vaughanらと協働。1991年に盟友のVítor MartínsとともにVelas社を設立、若手音楽家の育成に貢献。1995年にテレビドラマ『Historia de Amor』のテーマ曲を制作しヒットさせる。

Somos Todos Iguais Nesta Noita
Comecar de Novo
Abre Alas
Historia de Amor



Eliane Elias(1960年~)
 1960年3月19日、サンパウロ生まれ。クラシック、ジャズ、及びボサノバ系のピアニスト。ジャズに関心をもつピアニストであった母親の影響を受ける。6歳の時からサンパウロのCentro Livre de Aprendizagem Musical(CLAM)に学ぶ。成人になりジャズ・クラブで演奏を始める。1981年のヨーロッパ旅行中にジャズ・ドラマーのEddie Gómezを知り、その勧めでニューヨークに渡り、Juilliard School of Musicで学ぶ。その後、Eddie Gómez、Michael Brecker、Peter Erskine、Mike Manieriのグループ“Ateps Ahead”に参加、1983年に同グループとアルバム『Steps Ahead』を制作。1984年にはトランペット奏者のRandy Brecker(のちに結婚)とデュエットでアルバム『Amanda』を制作。
 その後、自らがリーダーとなってJack DeJohnetteやGómezとトリオを、またErskineやMarc Johnson(現在の夫)とトリオを組み、さらにMarc JohnsonやSatoshi Takeshiと3番目のトリオを結成。1995年にはHerbie Hancockとアルバム『Solos and Duets』を制作。

Tangerine
So Far So Close
Ilusions
My Foolish Heart



Mechel Teló(1981年~)
 1981年1月21日、ブラジルのパラナ州Medianeira生まれ。ラテンポップス系のシンガーソングライター。1987年、6歳の時に学校でパーフォーマンスを実演、10歳の時に父親がアコーディオンを与え、12歳の時に友人たちと伝統音楽を演奏するグループ“Guri”を結成し、リード・ボーカルと作曲を担当。1997年、16歳の時にグループ“Tradicao”への参加を誘われ、2008年まで11年間リード・ボーカルを務める。その間に「Barquinho」、「O Caldeirao」、「Pra Sempre Minha Vida」、「A Brasileira」、「Eu Quero Voce」等のヒット曲を生む。Telóの離脱でTradicaoは活力を失う。
 2009年にアルバム『BaladaSertaneja』を制作、シングル「Ei,Psiu! Baijo Me Liga」、「Amanha Sei Lá」がヒット。また、2011年に制作したライブ・アルバム『Michael Teló』もヒット。

Barquinho
If I Catch You
Bará Berê
Eu Quero Voce



Beth Carvalho(1946年~)
 1946年5月5日、リオ・デ・ジャネイロ生まれ。本名はElizabeth santos leal de Caravalho。サンバ歌手・ギター奏者・作曲家。7歳の時からラジオで歌い始め、1968年に最初のLP『Andanca』を発表。1971年にサンバ学校“Unidos de Sao Carlos”に参加後、より伝統的なサンバ学校“Mangueira”に参加。以後、現在まで同校のシンボル的存在。アルバムを24枚制作し、特に「Vou Festejar」、「Coisinha Do Pai」がヒット。
1980年代には非伝統的な楽器を用いてサンバを演奏、ポップ的要素は排除した。多くのサンバ学校を設立し、貧民や先住民の要求に向けられた社会的テーマを扱う曲を多数作曲した。

Vou Festejar
Coisinha Do Pai
Andanca
Cavaquinho Camarada
Dança Da Solidão



Maria Rita(1977年~)
1977年9月9日、サンパウロ生まれ。本名はMaria Rita Camargo Mariano。歌手Elis Reginaと作曲家César Camargo Marianoの娘。母親があまりに有名な歌手であったため、Mariaの音楽活動開始が遅れ、24歳の時に始めた。最初のCDを発表する前の2002年にAPCA賞を受賞。2003年9月にデビュー・アルバム『Maria Rita』を発表しヒット。2004年にはグラミー・ラテン賞を受賞。2006年にもグラミー・ラテン賞を2つ受賞(優秀MPBアルバム賞と優秀ブラジル音楽賞)。2011年にもToto Momposina とSusana BacaとともにCalle13の曲「Latinoamérica」の制作に協力してグラミー賞を再び受賞。

A Festa
Caminho das Águas
Maria Do Socorro
Casa de Noca
Agora Só Falta Vocè
Nào Vale A Pena



Tania Maria(1948~)
1948年9月5日、ブラジル北部のサン・ルイスで音楽愛好家の家庭に生まれる。7歳の頃からピアノを学ぶ、16歳で結婚し、3年後法律を勉強し始めたが、20歳の時に制作したブラジル的リズムとジャズを融合させた『Olha Quem Chega』を制作した時に学業を放棄、1971年にこれを発表。1970年代半ばにパリに移動、1980年にはアルバム『Piquant』を制作。一時期ニューヨークに居住したが、その後再びパリに転居し、同地に家族と定住。
最近では、2006年に『Via Brasil』、2011年に『Tempo』、2012年に『Canto』を発表。

Come With Me
Tranquility
Bronx
Cry Me A River



Dóris Montero(1934~))
 1934年10月23日、リオ・デ・ジャネイロに生まれる。1949年にリオ・デ・ジャネイロのラジオ局に見出され、1951年からラジオ番組で歌い始め、1963年に「Tasty Is Sambar」を制作。1969年に「Changing Conversation」を制作。以後、長年にわたって音楽・女優活動を継続。

Dia De Feira
Fecho Meus Olhos Vejo Você
Mocinho Bonito
O Pato



Johnny Alf(1929~2010)
 1929年5月19日、リオ・デ・ジャネイロ生まれ。3歳の時に父親が死亡、母親は家政婦として働きながらJohnnyを育てる。9歳の時から母親の知り合いの家庭でピアノを弾き始めた。14歳の時に、近所の子供たちとバンドを結成。1952年からプロ活動を開始。シングル「Falsete」を、1953年に「Em Cigarro」を発表。1950年代半ばから全国を公演。
 晩年は公の場に姿を現さなくなり、2008年にOcaで開催されたボサノヴァ成立50周年記念コンサートに出演したものの、2009年以後姿を見せなくなり、2010年にサンパウロ州サン・アンドレにて睾丸癌が原因で死亡。「ボサノヴァの本当の親」とも評される。

Pensando Em Você
Rapaz de Bem
Sidarta




<アルゼンチン>


Charly García(1951年~)
 1951年10月23日、ブエノス・アイレス生まれ。本名はCarlos Alberto García Moreno。ロック歌手・作曲家。アルゼンチン現代音楽の象徴と評される。化学工場を所有する裕福な家庭出身。1956年にブエノス・アイレスのThibaud Piazzini音楽学校に入学しJulieta Sandovalの指導を受ける。1970年にDr.Dámaso Centeno社会軍事学院に入学し、その頃友人Carlos Belliaとともに“To Walk Spanish”を結成、さらにCarlosPiégariやNito Mestreとともに“Sui Géneris”を結成。その後、徴兵され、小康を罵倒したために極寒地に送られそうになったり、心雑音が原因で入院する経験をし、その中で「Canción Para Mi Muerte」を作曲。徴兵終了後、“Sui Géneris”に復帰したが、他のメンバーが離脱していたためNito Mestreとのデュエットで活動した。1972年にプロデューサーのPierre Bayonaと出会い、“Sui Genéris”の最初のアルバム『Vida』を発表。1973年には2枚目の『Confesiones de Invierno』を発表。
 極右勢力のAAAが暗躍するなか、「Botas Locas」、「Juan Represión」などの曲が検閲を受けて歌詞の変更を強要されることも重なった。このような政治的に困難な時期にCharly García、Nito Mestre、León Gieco、María Rosa Yorio、が“PorSuiGieco”を結成し、同名のアルバムを制作。収録された「El Fantásma de Canterville」はイサベル・ペロン政権の検閲を受けた。“Sui Géneris”の後、Charly はCarlos Cutaia、Gustavo Bezterrica、José Luis Fernámdez、Oscar Moroとともにロック・バンド“La Máquina de Hacer Pájaros”を結成。同年、Cosquínのフェスティバルに出場し、演奏した曲をバンド名のアルバムとして発表。軍事試験下ではメンバーはそれぞれの自宅の屋根裏に集まって練習、1977年に2枚目のアルバム『Películas』を制作。
 同年、Charlyは“La Maquína”を離脱。軍事政権から逃れるためもありブラジルに転居、リオ・デ・ジャネイロに居を定める。翌年はブラジルで漁労や果物採集などの自然生活を過ごす。アルゼンチンへの帰国を目指して新しいバンドの結成を模索し、Pedro Aznar、Oscar Moro、David Lebónと協力し始め、“Serú Girán”を結成。1979年に「Loco」、「Treinta y Dos Mecetas」、「Toda la Gente」含むアルバムを制作。同年にアルバム『La Grasa de las Capitales』を制作。1980年には『Bicicleta』を発表、その中にルイス・キャロルと軍事政権を重ね合わせたように見える「Canción de Alicia en el País 」を収録。1980年には『Pererina』を発表、当時の経済相であったJosé Martínez de Hozに言及した「José Mercado」が評判を得る。
 1982年にCharlyはソロ活動を開始。軍事政権とマルビナス戦争を批判する「No Bombardeen Buenos Aires」、「Inconsciente Colectivo」、「Yo No Quiero Volverme Tan Loco」などの曲を制作。1983年には民政移管後の環境下で「Nos Siguen Pegando Abajo」、「No Me Dejan Salir」を制作しヒットさせる。1984年12月には収録曲の「Demoliendo Hoteles」、「Raros Peinados Nuevos」がヒットしたアルバム『Piano Bar』を制作。1986年には『Tango』を発表。1987年に方向転換し宗教色の強い『Parte de la Religión』を制作。1980年代末にCharlyは表面的に大きく変化し、老化が目立った。1991年にはPedro Aznarらとともにアルバム『Radio Pinti』を制作。1994年にはロック・オペラ『La Hija de la Lágrima』を制作、「La Sal No Sala」、「Fax U」が好評を得る。1994年にサッカー・ワールド・カップでモラドナが麻薬問題で出場を停止された時、マラドナに電話して「Maradona Blues」を歌ったというエピソードもあり。
 1996年にはアルバム『Say No More』を制作、1997年にはMercedes Sosaとともに『Alta Fidelidada』を制作。1998年には母親に捧げた「Kill My Mother」を収録したアルバム『El Aguante』を制作。2000年にCharlyとNito Mestreは再結集して“Sui Géneris”を復活させた。2002年にはアルバム『Influencia』を、2003年には『Rock and Roll Yo』を発表。2008年6月にメンダサ市内にいて暴飲・麻薬過剰摂取のため入院、回復に1年を要し、2009年8月に「Deberías Saber Por Qué」で復帰。2013年にはアルバム『60X60』を制作、著作『Lñineas Paralelas:Artificio Imposible』を出版。

Botas Locos
Loco
Canción de Dos Por Tres
No Bombardeen Buenos Aires
Nos Siguen Pegando Abajo
La Sal No Sala



Diego Torres(1971年~)
 1971年3月9日、ブエノス・アイレスに生まれる。本名はDiego Antonio Caccia Torres。ラテン・ポップス系歌手兼俳優。母親Lolita Torres(2002年死亡)は著名な歌手・女優。  1988年に映画『El Profesor Punk』に出演。翌1989年にバンド“La Marca”を結成(1991年解散)。同年にテレビドラマ『Los Otros y Nosotros』に、1991年には『El Gordo y ElFraco』に出演。1992年にラテン・ポップス、バラーダ、ロック調の曲を交えたデビュー・アルバム『Diego Torres』を発表、「Estamos Juntos」、「Puedo Decir Que Sí」がヒット。1994年に2枚目のアルバム『Tratar de Estar Mejor』を制作、特に「Tratar de Estar Mejor」と「Deja de Pedir Perdón」がヒット。1995年にはスペインで開催された『Serrat、Eres Único』に参加して「Penélope」を歌って好評を博す。同年にアルバム『Luna Nueva』を制作するとともに、Juan BautistaStagnaro監督の映画『La Furia』に女優Laura Novoaととともに出演。1999年にはアルバム『Tal Cual Es』を発表、「¿Qué Será」、「La última Noche」がヒット。同年、再びLaura Novoaと映画『ぁVenganza』で共演。
 2001年にアルバム『Un Mundo Diferente』を制作、経済危機の渦中で「Sueños」、「Color Esperanza」、「Que No Me Pierda」、「A Través del Tiempo」がヒット、「Color Esperanza」はスペイン語圏諸国において楽観主義を表明する代表的な曲となる。2003年5月にはマドリッドで開催されたローマ法王フアン・パブロ2世との青年音楽祭で「Color Eperanza」を熱唱。2006年にはアルバム『Andando』、収録された「¿Hasta Cuándo」は2002年に亡くなった母親への鎮魂歌であった。また、ドミニカ共和国のJuan Luis Guerraとデュエットで「Abriendo Caminos」も収録。2010年には『Distinto』を制作、「Guapa」や「No Alcanzan Las Flores」を収録。「Guapa」はスペイン語圏で大ヒットとなる。同年にシングル「Mi Corazón Se Fue」を発表。2012年には映画『Extraños en la Noche』に出演。2013年にはテレビのコメディー・ドラマ『Underground Vecinos en Guerra』に出演。

Estamos Juntos
¿Qué Será?
Color Esperanza
La Última Noche
Andando
Abriendo Caminos



Luciano Pereyra(1981年~)
 1981年9月21日、アルゼンチンのブエノス・アイレス州Lujánに生まれる。フォルクローレやラテン・ポップス系の歌手・作曲家。3歳の時に両親からギターを贈られて音楽と接し、4歳の時にテレビのオーディションに応募、10歳の時にテレビ番組でLeón Giecoの曲「Sólo Le Pido A Dios」を熱唱。
 1998年に最初のアルバム『Amaneciendo』を発表、収録された13曲はサンバ、カルナバリート、バルス、チャカレーラ、バラーダ調の曲が混合。2000年3月に2枚目のアルバム『Recordándote』を制作。2001年にはマラドナの引退イベントで国歌を斉唱。2002年にはボレーロやタンゴ調の3枚目のアルバム『Soy Tuyo』を制作。2003年には映画『Tus Ojos Brillan』に出演、2004年にはテレビのコメディー番組『Los Pensionados』に出演、同年アルバム『Luciano』を制作。
 2006年には5枚目のアルバム『Dispuesto a Amarte』を発表、収録曲「Porque Aún Te Amo」がヒット。このアルバムからLucianoの音楽傾向が変化。2008年には「No Puedo」を発表、2010年には『Volverte a Ver』を制作。

Apetitosa
No Puedo
Dispuesto a Amarte
Si Me Pudieras Ver



Arco Iris(1968年結成)
 1968年に大ブエノス・アイレス圏のEl PalomarでGustavo Santaolalla、Ara Tokatlian(エジプト系)、Guillermo Bordarampé、Horacio Gianello、Danais Winnycka(Dana、1939年3月28日ウクライナ生まれ、2003年9月7日ティファナで死亡)によって結成されたアルゼンチンの代表的なロック・バンド。フォークオーレとの融合を模索。
 1969年5月に最初の作品「Lo Veo en Tus Ojos」、「Canción para una Mujer」を制作。1970年1月にはマル・デル・プラタ国際音楽祭で「Blues de Dana」を歌って優勝。その後、アルバム『Blues de Dana』を制作、同年アルバム『Arco Iris』を発表。1972年にはアルバム『Tiempos de Resurrección』、『La Ópera Rock Sudamérica,o el Regreso a la Autora』を発表。1973年には『Inti-Raymi』、1974年には『Agitor Lucens』を制作。1975年にはSantaolallaが離脱し、独自のバンド“Soluna”を結成。以後、Ara Tokatliánがリーダーとなり、1977年にはアルバム『Los Elementales』、1979年には『Mañana Campestre』を発表。その頃、米国に移転し、1980年に『Cóndor』、1981年に『El Faisán Azul』、1988年に『Pipas de la Paz』、1992年に『In Memoriam』、1996年に『Peace Will Save the Rainbow』、2000年に『Arco iris En Vivo』を発表。2003年にDanaが死亡し、事実上解散。

Vasudeva
Blues De Dana
Nazca
Mañana Campestre



Fito Paéz(1963年~)
 1963年3月13日、アルゼンチンのサンタ・フェ州Rosario生まれ。生後8か月の時にコンサート・ピアニストであった母親が亡くなったため、父親と父方の祖母に育てられる。14歳の時から極度の近視のため眼鏡をかけ始め、音楽とは家庭教師の指導で接し始めたが、視力が弱かったため教師の指の動きや音を記憶して学び、その後音楽学校に進んでクラシック・ピアノを学んだが、視力の弱さのため正式な音楽教育の享受を断念し、アンダーグラウンドの世界で能力を発揮することになる。
 小学校時代に友人とフォルクローレ・バンドを結成、1979年には”Neolalia”、その後”Sueñosía”を結成、1980年に”Staff”を結成して地方の音楽祭に出場して入賞。その後、地元ロサリオのロック・バンド”El Banquete”に参加する一方で、ギター奏者Pichi de Benedictisのフォークローレ・グループ”Acalanto”にも加入した。1981年にJuan CarlosBagliettoが”Acalanto”の公演をする際にFitoをキーボ-ド奏者として参加させる。1982年にBagliettoがEMI社と契約してアルバム『Tiempos Difíciles』を制作したが、その際収録曲の半数をFitoが作曲、そのアルバムのプレゼンテーションはマルビナス戦争の最中に行われ、「ロサリオ・トローバ」の開始と評された。その前年の1981年にBagliettoはアルバム『Actuar Para Vivir』を制作したが、Fitoは作曲(4曲)とキーボード演奏で参加。1983年のBagliettoの3枚目のアルバム制作にも参加して「Tratando de Crecer」、「Las Cosas Tienen Movimiento」を作曲。その一方で、FitoはCharly Garcíaのバンドに参加、1983年のアルバム『Clics Modernos』の制作に協力、1984年には『Piano Bar』の制作に参加、ここで最初の妻となるFabiana Cantiloと出会った。
 1984年にEMI社と5年契約を結び最初のCD『Del 63』を制作、「Del 63」、「Tres Aguajas」、「La Rumba del Piano」がヒット。1985年にGarcíaのバンドから離れ、アルバム『Giros』を制作、中でも「Yo Vengo a Ofrecer Mi Corazón」、「11y6」、「Cable あTierra」が好評を得、歌手として全国的に名が知られるようになる。1986年には3曲からなるCD「Corazón Clandestino」を制作、うち1曲はCaetano Velozonoの協力を得た「La Rumba del Piano」。1986年にはLuis Alberto Spinettaとともにアルバム『La la la』を制作、「Parte del Aire」がヒット。
1986年11月、Fitoがリオ・デ・ジャネイロ公演中に祖母、大叔母、家政婦が殺害される事件が発生。1987年には『Ciudad de Pobres Corazones』を発表、「Gente Sin Swing」、「Ámbar Violeta」、「Dando Vueltas en el Aire」、「Nada Más Preciado Para Mí」、「bailando Hasta Que Se Yvya la Noche」、「Track Track」等を収録していたが、上記事件を反映して暗いイメージが強い曲が多く見られた。1988年には『Ey!』を制作、「Polaroid de Locura Ordinaria」、「Solo Los Chicos」、「Dame Un Talismán」、「Lejos en Berlín」、「Tatuaje Falso」、「Por Siete Vidas」を収録した。ロック調とアフロ・キューバンを融合した作風を示す。同年末にはGuillermo Vadaláと“Chapa y Pintura”と題するデュエットを組み、タンゴ、フォルクローレ等を含む曲を歌う。
1990年にはEMI社との間に紛争が生じたが、旧友のFabián GallardoWarner Music Groupのプロデューサーとして発表機会を提供したためアルバム『Tercer Mundo』の発表が可能となる。同年、『Algo Mejor de Fabiana Cantilo』を制作。
1992年にスペイン人女優Cecilia Rothとの別れに発する感情を表現したアルバム『El Amor Después del Amor』を制作、「El Amor Después del Amor」、「Brillante Sobre el Mic」、「A Rodar la Vida」、「La Rueda Mágica」がヒット。また、「Un Vestido y un Amor」、「Pétalo de Sal」、「Tumbas de la Gloria」、「Balada de Donna Helena」、「Dentrás del Muro de los lamentos」、「Dos Díasen la Vida」も好評を得る。1993年には「Trabajos Del 63」、「Giros」、「Ciudad dePobres Corazones」、「La la lá y Ey!」を収録したCDを発表。1994年には「Mariposa Technicolor」、「Soy un Hippie」、「Tema de Piluso」、「Lo Que el Viento Nunca Se llevó」を収録した『Circo Beat』を発表。 1996年にはアルバム『Euforia』を制作、未公開の3曲「Cadáver Exquisito」、「Tus Regalos Deberían de Llegar」、「Dar Es Dar」が収録された。1998年には『Enemnigos Íntimos』を制作。1999年には『Abre』を制作。2003年には前年のCecilia Rothとの別離を経て『Naturaleza Sangre』を発表。2004年には『Mi Vida Con Ellas』を制作。2005年にはRomina Ricciとの別離が噂される中、『Moda y Pueblo』を制作。未公開曲「Las Palabras」を収録。同年、ドミニカ共和国のVíctor Víctorとデュエットでバチャータ風の「Un Vestido y un Amor」を制作。2007年には『Rodolfo』を発表。2008年には『No Sé Si Es Baires o Madrid』を発表。
2010年には『Confía』、2011年には『Canciones Para Aliens』を、2013年には『Yo Te Amo』と『Dreaming Rosario』の2枚のアルバムを発表。2014年2月にはビニャ・デル・マル国際音楽フェスティバルに参加。
映画監督としては、ソラナス監督の1988年制作の『Sur』と1992年の『El Viaje』の制作に協力。1993年には中編作品『La Balada de Donna Helena』を制作。2001年にはCecilia RothとGael GarcíaBernalを主演とした初めての長編映画『Vidas Privadas(ブエノス・アイレスの夜)』を制作。制作後FitoとCeciliaとの関係が冷却。2007年には『¿De Quién Es el Portaligas』を制作。2009年には『Las Manos al Piano』を制作。

Amor Después de Amor
A Rodar la Vida
Un Vestido y Un Amor
Del 63
Corazón Clandestino



Los Gatos(1967年結成)
 1967年3月に、Kay Galifi、Litto Nebbia、Ciro Fogliatta、Alfredo Toth、 Oscar Moroの5名が結成。Almendraと Manalとともにアルゼンチン・ロックの草分けとされている。代表曲は「La Balsa」。ブエノス・アイレス市内のAv.Pueyrendón1723にあるナイト・ジャズ・クラブで演奏。
1968年までにアルバム3枚を制作し、同年末にKayが結婚してブラジルに転住したため分離し、代わってPappoが加入。1987年までに6枚のアルバムを制作。2005年2月にPappoが、2006年7月にOscar Moroが死亡。

La Balsa
Ya No Quiero Soñar
No Hay Tiempo Para Perder
Seremos Amigos



Gustavo Cerati(1959~2014)
 1959年8月11日、アルゼンチンのブエノス・アイレス市内のバランカス地区に生まれた。ラテンアメリカの伝説的ロック・ミュージシャン。幼児時代より音楽に接し、その後はThe Police、Queen、David Bowie、 Deep Puepleの影響を受ける。中学・高校時代はロック・ブルース系の”Savage”と、フュージョン系の”Voasrrón”の2バンドを結成。
 1982年にZeta BosiotoやSandra Baylacとともに”The Morgan”を結成、The MorganはThe PoliceやThe Cureに影響されたパンク・ロック・バンドとして活動。その後、Sandra Bayalac等とともに”Stress”を結成。同年、Ceratiはサルドバル大学にて広告学をともに学んだHéctor“Zeta”Bosioと親密となり、Soda Stereoの結成を決め、The Policeに影響されたパンクロックのバンドの結成を目指した。彼らにThe Morganグループが合流して、Sandra Baylac、Charly Amato、Pablo Guadalupe,、Proyecto Erekto、Andres CalamaroがStressに加わった。Charly AlbertiはLos Estereotiposを結成したが、トリオとすることを選んでCerati、Zeta Bosio、Charly Albertiの3人でSoda Stereoを結成した。彼らは1983年7月に最初の一連のコンサートを実施し、1984年にはアルバム『Soda Stereo』、1985年に『nada Perosnal』、1986年に『Signos』、1988年に『Doble Vida』、1990年に『Canción Animal』、1992年に『Dynama』、1995年に『Sueño Stereo』を制作した。
1997年5月、Soda Stereoは解散を発表。同年8月から9月にメキシコ、ベネズエラ、チリに公演旅行を行い、9月20日にブエノス・アイレスで行われた7万人のコンサートで終了した。
 Soda Stereoの解散後、CeratiはFlavio Etchecoとデュエット“Ocio”を結成し、1999年半ばにアルバム『Medida Universal』を制作した。2002年末には3枚目のソロ・アルバムである『Siempre Es Hoy』を制作。2006年4月にはメキシコとアルゼンチンで『Ahí Vamos』を同時発売。2007年7月、Soda Stereoの復活が宣言され、10月から11月にコンサート活動を実施。
 2010年5月に心不全で入院治療したが、脳血栓であることが判明。2014年9月4日に死亡した。享年55歳。

Crimen
Adios
Puente
Deja Vu
Rapto
Lago En El Cielo




<ニカラグア>


Luis Enrique(1962年~)
 1962年9月28日、ニカラグアのSomoto生まれ。本名はLuis Enrique Mejía López。
別名“El Principe de la Salsa”と呼ばれるが、サルサのみでなく、ラテンポップス、バラーダ、ラテンジャズ等もカバー。音楽の一家に生まれ、父親は国際的にも著名なミュージシャンであるLuis Mejía Godoy、作曲家のLuis Enrique Mejía Godoy とCarlos Mejía Godoyの甥。サルサ歌手として名を挙げた。1978年に米国に転住、ジャズやリズム&ブルースに関心があったためロサンゼルスに定住。1987年にヒット曲となった「No Te Quites La Ropa」、「Amor de Medianoche」を収録したアルバム『Amor De Medianoche』を制作。
 1988年にプエルトリコに移転し、アルバム『Amor y Alegría』を制作、「Tú No Le Amas,Le Temes」、「Qué Será de Tí」、「Compréndelo」がヒット。2000年にはアルバム『Evolución』、2002年には『Transparente』を発表、「Alma Rosa」、「Que Se Yo」、「Te Extrañaré」、「Amanecer」、「Será」、「Ella Es Muy Tardeなどがヒット。2006年には『Dentro y Fuera』を発表、「Ay Amor」、「Mañana Es Muy Tarde」、「Yo Te Amé」がヒット。2009年、「Yo No Sé Mañana」が好評。

Yo No Sé Mañana
Amor de Medianoche
Te Extraré
Ay Amor
Yo Te Amé




<ペルー>


Gian Marco(1970年~)
 1970年8月17日、ペルーのリマ市生まれ。本名はGian Marco Javier Zignago。母親は女優・歌手のReginaAlcóver、父親はNueva Olaの歌手であるJoe Danova。11歳の時に母親とともに音楽ショー『Papito Piernas Largas』に出演。12歳の時にブエノス・アイレスでテレビ初出演。リマ市モンテリコ区内のColegio Santa Margaritaに学ぶ。18歳の時にグラフィック・デザインを学ぶためにサンチアゴ・デ・チリに渡航。
 1989年に帰国。1990年に最初のアルバム『Gian Marco』を発表。1992年に2枚目の『Personal』を制作、「Te Extrañaré」、「Dame un Beso」がヒット。1994年には『Entre la Arena y la Luna』、1996年に『Señora,Cuéntame』、1997年に『Al Quinto Día』を制作。
 2004年にはCopa América Perú 2004のテーマ曲「Más Allá de los Sueños」を歌う。2005年にはデビュー15周年コンサートを実施。2007年末には『La Madera del Alma』を出版。2008年6月には9枚目のアルバム『Desde Adentro』を発表。2010年にはアルバム『En Tiempo Real』を制作。2011年6月には『Dñias Nuevos』を発表。

Te Extrañaré
Dame un Beso




<チリ>


Kali Mutsa(1920年~)
 チリのサンティアゴ出身のバンド。メンバーはフランス系の女優Celine ReymundとプロデューサーCristobal Montesから成るバンド。Kaliは1920年生まれ、ジプシー系の両親は幼少期に亡くなったので孤児となり、15歳の時からベリー・ダンサー、歌手、女優として働き始める。アマゾン地域出身のプロデユーサーであるSandoje Catiriに見出される。2011年11月にファースト・シングルである「Tunupa」のためのビデオを発表。同年中にアルバム『Redbull Panamerika』、同『Club Fonograma』、同『Colours』を制作。

Tunupa
El Jardin
Cancion de Amor Colla



Los Prisioneros
(1983年結成、2001年再結成)
 チリでニューウェーブを代表する最も影響力のあるロック・バンド。1979年3月にサンティアゴのLiceo6de San Miguelで当時13~14歳のJorge González、Claudio Narea、Miguel Tapiaが出会い、1980年にÁlvaroとRodrigoのBeltrán兄弟を合わせてLos Pseudopillosを結成。
1982年5月に学校でデビューしたが、同年末に解散。その後、Rodrigo、ClaudioとÁlvaroの3人がトリオを組んでLos Criminalesを結成、1983年に発展してLos Prisionerosとなる。1984年、最初のカセット『LaVoz de los ’80』を発表。1985年にEMI社と契約してアルバムとして再発売。シングル「Sexo」がヒット。
 1986年に2枚目のアルバム『Pateando Piedras』を発表、「Muevan las Industrias」、「¿Por Qué No Se Van?」、「El Baile de los Que Sobran」がヒット。1987年に3枚目のアルバム『LaCultura de la Basura』を制作、「Somos Solo Ruido」、「Algo Tan Moderno」、「El Vals」、「Lo EstamosPasando Muy Bien」がヒット。1989年にGonzálezとNareaの関係が冷却化、1990年にNareaがTapiaに離脱を表明、5月に正式に離脱。残りの2人が4枚目のアルバム『Corazones』を発表。その後、Cecilia Aguayoが加入。1992年10月、GonzálezとTapiaが離脱を表明、ヒット曲集の『Grandes Éxitos de los Prisioneros』を制作。1996年に再結集を図りヒット曲集を制作。1998年にGonzálezとTapiaがベネズエラ人のArgenis Britoを加えてトリオLos Diosesを結成。その後、再度の分裂を経て、2001年9月に再結集し、「Las Sierras Eléctricas」を発表。2003年にはビニャ・デル・マルの音楽祭でほとんどの賞を独占、新アルバム『Los Prisioneros』を制作。同年9月にNareaが最終的に離脱。2004年に新編成メンバーでアルバム『Manzana』を発表。

Sexo
¿Por Qué No Se Van?
El Baile de los Que Sobran
Somos Solo Ruido
Lo Estamos Pasando Muy Bien



Los Bunkers(1999年結成)
 チリのコンセプシオンに結成されたチリ・ロックのバンド。FranciscoとMauricioのDurán兄弟、ÁlvaroとGonzaloのLópez兄弟、Mauricio Basualtoの5人で構成。Álvaro とFranciscoがコンセプシオンのサレシアノ高校時代に知り合った。両Mauricioはコンセプシオン大学のジャーナリズム学部で知り合った。5人はビートルズ、Los Tresやヌエバ・カンシオンの影響を受けたと言われる。1999年にLos Bunkersを結成。
 2000年にサンティアゴに進出。同年4月5日に同市内でデビュー・コンサートを実施。同年最初のEP版「Jamás」を発表、2001年にはVioleta Parraに捧げた『después de Vivir un Siglo』を制作。2002年に2枚目のアルバム『Canción de Léjos』、また同年にシングル「Las Coasa Que Cambié y Dejé Por Ti」、「Pobre Corazón」、「Canción de Lejos」をヒットさせる。2003年9月6日にはクーデター30周年コンサートでLos JaivasのClaudio Parraとともに「Salvador Allende:El Sueño Existe」を歌う。
 2004年8月にはInti-Illímani Histórico とQuillapayunとともに映画『Machuca』の制作に協力。2005年9月に4枚目のアルバム『Vida de Perros』を制作、そのうちシングルの「Ven Aquí」、「Llueve Sobre la Ciudad」がヒット。2008年にアルバム『Barrio Estación』を発表。2010年に6枚目のアルバム『Música Libre』、2013年に7枚目の『La Verocidad de la Luz』を発表。同年シングル「Bailando Solo」、「La Maldición de Mi País」を発表。

Bailando Solo
Ángel Para Un Final
Si Estás Pensando Mal de Mí
Quien Fuera
Sueño Con Serpientes




<ドミニカ共和国>


Convite(1972年結成~1977年解散)
 1960年代後半にラテンアメリカに広がったヌエバ・カンシオン運動の枠内でドミニカ共和国の伝統的な音楽的リズム、特にアフロ・ドミニカン音楽の復権に努めたグループ。Luis DíasとJosé Rodríguezが中心となって結成。Luis Díasが大学進学のため故郷のBonaoからサント・ドミンゴに転住した』後、サントドミンゴ大学で詩人のRodríguezと出会う。1972年にDagoberto Tejada、Ana María Guzmán、Miguel Mañaná、José Castillo、Iván Domiínguezを加えて“Convite”を結成。1974年にサントドミンゴで開催されたヌエバ・カンシオン運動の“Siete Días con el Pueblo”国際音楽フェスティバルに参加し、Luis Díasが作曲した「Obrero Acepta Mi Mano」がフェスティバルの公式テーマ曲となる。アルバム『Convite Convida』、『Candelo y la Bestia』を制作。1977年に解散。





<キューバ>


Dámaso Pérez Prado(1916~1989)
 1916年12月11日、キューバのマタンサス県生まれ。別名“Rey de Mambo”と呼ばれる。マンボは1930年代末にハバナで演奏されていたが、彼が国際的に広げる。1940年代にはハバナ市内の複数の楽団で演奏。また、短期間ながらSonora MatanceroやOrquestra Casino de la Playa、Orquestra Cubaney、Orquestra de Paulina Alvarezでも演奏。1942年にハバナに定住、1947年にアルバム『Que Rico el Mambo』を発表。1948年にメキシコ・シティに転住。1950年代にはメキシコ政府がメキシコ国家をマンボのリズムで演奏するのを禁止したため、一時的にメキシコを出国。1960年代には「Mambo del Taconazo」で知られる。1980年にメキシコ国籍を取得。
 幼少時よりピアノを演奏し、代表曲はMoisés Simonsの「El Manicero」。作曲家としては「Mambo en Sax」、「La Chula lindda」、「Silbando Mambo」、「Mambo de París」が有名。1989年9月14日、メキシコ・シティにて死亡。享年72歳。

Mambo del Taconazo
Mambo en Sax
Silbando Mambo
La Chula Linda
Cerezo Rosa
Patricia



Faustino Oramos(1911~2007)
 1911年6月4日、キューバのオルギン県生まれ。本名はFaustino Oramos Osorio。別名“el Guayabero”(白色のGuayaberoを常に着ていたことから)。歌手・3絃ギター奏者・作曲家。音楽活動はBenigno Mesaが率いるSepteto La Tropicalで開始、その後、Santana Oramos Psorio、Carmito Oramos Batista、Missel Pinoと独自のバンドを結成。特に、伝統的なSon Montunoの演奏を重視した。2007年3月27日に死亡。享年96歳。

Cómo Baila Marieta
El Tren de la Vida
Yo Toco El Son
Cuidao con el Perro



Dan Den(1988年結成)
 1988年にJuan Carlos Alfonsoによって結成されたキューバのバンド。代表曲は「Mi Cuerpo」、「Amame Con Tu Experiencia」。

Siempre Hay un Ojo Que Te Ve
Amame Con Tu Experiencia
Mi Cuerpo
Dale al Que No Te Dio
Salsa en Ataré




<米国>


Larry Harlow(1939年~)
 1939年3月20日、ニューヨークのブルックリン生まれ。両親はユダヤ系。本名はLawrence Ira Kahn。別名“El Judío Maravilloso”。母親はオペラ歌手、父親はニューヨークのラテン地区のナイトショー・クラブに勤務。ソン、Son Montuno、アフロキューバン・ジャズ、マンボ、グアラチャ、サルサに精通。1950年代にキューバに渡り音楽を学んだが、革命の実現によって学業を中断して帰国。La Orquestra Harlowを結成して、Fania All-Starsとも連携。アルバムを106枚制作。最も著名なアルバムは、『Abran Paso』、『Tributo a Arsenio Rodríguez』。また、1960年代にメキシコにいたCelia Cruzをニューヨークに連れてきたことでも知られる。代表的な曲は「Es Un Varón」、「El Día De Navidad」、「Quirinbomboro」、「Gracia Divina」、「Caricaridad」、「Soy Sensacional」。

Es Un Varón
El Día de Navidad
Gracia Divina
Soy Sensacional



Tony Tun Tun(1977年~)
 1977年3月4日、プエルトリコのCarolina生まれ。Carolinano音楽学校で学ぶ。その後、Víctor Roque y La Gran Manzanaに参加。さらに、Grupomaniaに参加し、Grupo Karisのためにメレンゲを作曲。1999年にElvis Crespoとともに『Canminando』を制作。2010年に『Con la Musica Por Dentro』を、2004年に『Afrodisíaco』を制作。

Cuando la Brisa Llega
Mayor Que Yo