トロピカリア


※名前のリンクはアーティストの公式ホームページです。
また、曲は全てYouTubeにリンクしています。



Gilberto Gil(1942~)
 1942年6月26日にブラジル北東部のバイーア州サルヴァドールに、アフリカ系ブラジル人の家庭に生まれる。ジルベルトは1970年代以降、自身がアフリカ系であることを強く意識した音楽活動を行うようになる。家庭の事情で幼少期はバイーア州で過ごし、1950年頃にサルヴァドールにある親戚の家に移る。この頃にアコーディオンを始め、その後作曲も手がけるようになる。
 その後、バイーア連邦大学に進んで経営学を学んだが、カエターノ・ヴェリーゾの同時代に哲学科で学んでいた。学生時代にジョアン・ジルベルトを聴いて衝撃を受けたジルベルトは、ギターを買ってボサノバを歌うようになり、在学中にコマーシャル・ソングの作曲も行った。
 1965年に就職を機にサンパウロに移転。翌年、妻のEris Reginaに依頼され、彼女のテレビ番組のために作曲を行い、提供した「Louvaçáo」がヒット。ジルベルトは音楽活動に専念していった。
 1967年にデビュー・アルバム『Louvaçáo』を発表。1968年にはカエーノ・4ヴェローゾとともにムタンチス、ナラ・レオン、ガラ・コスタ等を加えて「トロピカリア」運動を代表するアルバム『Tropicalia ou Panis et Circenses』を発表。また同年2枚目のアルバム『Gilberto Gil(Frevo Rasgado)』を発表。同年12月、ジルベルトとカエターノは軍事政権によって逮捕され、まもなくロンドンに亡命した。
 1971年、亡命先のロンドンで『Gilberto Gil(Nega)』を発表、この頃ジルベルト」はレゲエに傾倒していく。1972年1月にブラジルに帰国。1972年にはアルバム『Expresso 2222』を発表。1979年にはボブ・マーリーの「No Woman No Cry」をポルトガル語でカヴァーした「Nao Chore Mais」が大ヒット。1980年にはジミー・クリフとブラジル・ツアーを実施。1981年にはアルバム『Brasil』を発表。
 1990年代に「トロピカリア」を再評価する傾向が生じ、1993年にカエターノとともに『Tropicália2』を発表。2000年には映画『私の小さな楽園』の音楽を担当。同年、Milton Nacimientoとともに『Gil e Milton』を発表。2002年、ルラ政権によって文化大臣に任命され、2003年に就任し、2008年に音楽活動が多忙になったことを理由に辞任した。

Back in Bahia
Oriente
Kaya N’Gan Daya
Banda Larga Cordel



Caetano Velozo(1942~)
1942年8月7日にブラジル北東部のバイーア州サント・アマーロ・ダ・プリフィカ」サォンに7人兄弟の5番目に生まれる。1967年に、ガル・コスタとのデュエット・アルバム『Domingo』を制作し、ボサノバ・シンガーとして音楽家としてキャリア」を開始した。初期の音楽はジョアン・ジルベルトやドリヴァル・カミイに強い影響を受けた。しかしその後は、ジルベルト・ジル、ガル・コスタ、トン・ゼー、シコ・ブアルキ、ムランチス等の音楽仲間たちとともに、グラジルのポピュラー音楽と欧米のロックンロールや前衛芸術的な音楽の要素をミックスした、社会意識的な「トロピカリア」音楽運動を形成していった。
 1968年に軍事」政権に「反政府活動」を理由に投獄され、後に国外追放された。1972年に帰国。忘れ去られてしまったようなブラジルの伝統的スタイルやリズムも取り入れるようになる。アルモドバル監督の映画『Hable con Ella』や『フリーダ』のサウンドトラックを担当。1998年には母校のバイーア連邦大学より名誉教授号を授与された。

Domingo
Alegría Alegría
Tropicália ou Panis et Circensis
Ao Vivo



Gal Costa(1945~)
 1945年9月26日、ブラジルのサルバドル生まれ」。本名はMaria da Graça Costa Penna Burgos。1963年に友人であるMaria Bethãniaの兄のカエターノ・ベローゾがGal Costaをジルベルト・ジル」とトン・ゼーTom Zeに紹介し、ベローゾとのデュエットであるデビュー・アルバム『ドミンゴDomingo』のためのサンパウロでのレコーディング契約を獲得。1969年にGal Costaの名を冠したソロ・デビュー・アルバムはベローゾ、ジル、ゼーとジョルジ・ベンによる曲を含み、トロピカリアの古典とみなされている。
 同年、引き続いて発表された次作ではジル同様に英米サイケデリックへの傾倒が見られた。次の作品『Legal』、および翌年のライブ・アルバムでは再びブラジルアン・サウンドとヘビー・ロックがバランスされていた。1973年に発表したアルバム『インディア』は、きわどい赤いビキニをつけたカバーを理由に検閲された。1982年のアルバム『Fantasia』からのシングル「Festa Do Interior」は過去最大のヒットとなった。1995年には映画『O Mandarim』で歌手Carmen Miranda役を演じた。

Maria da Graça
Domingo
Festa Do Interior



Maria Bethãnia(1946~)
 1946年6月18日、バイーア州生まれ。カエターノ・ベローゾの妹。1964年リオ・デ・ジャネイロのショー「オピニオン」でデビュー。1965年に発表したシングル「Carcará」でヒット。1967年にジルバルト・ジルとエルゼッチ・カルドーゾと共演。1981年ニ」カエターノとジルとともにジョアン・ジルバルトのアルバム『Brasil』の制作に協力。

Carcará



Mutantes(1965年結成、2006年再結成)
 1966年にSérgio Diasと Arnaldo Baptistaの兄弟がRita Lee、Ronaldo LemeとともにブラジルのサンパウロでOs Mutantesを結成。バンド名はSF小説の『O Planeta Dos Mutantes』に由来。同年にシングル「Suicida」を発表、1968年にトロピアカリア運動を代表することになるコラボレーション・アルバム『Tropicalia:ou Panis Circenses』の制作に参加、また同年に発表されたGilberto Gilの2枚目のアルバム『Gilberto Gil』にも参加。1969年にアルバム『Mutantes』を発表。
 1970年に3枚目のアルバム『A Divina Comedia ou Ando Meio Desligado』を制作。同年Ritaが初のソロ・アルバム『Build Up』を発表、同年11月英語詞のアルバム『Tecnicolor』を制作したが発売されず、1971年に『Jardin Eléctrico』として発表。
 1972年にアルバム『Mutantes e Seus Cometas no Pais do Baurets』を最後にRitaが脱退、Sergio以外のメンバーが一新された編成で、1974年にアルバム『Tudo Foi Feito Pelo Sol』を発表、その後もメンバーの変更が続いたが、1978年に解散。
 2006年にオリジナル・メンバーのSergioとArnaldoを中心に、Dinho Lemeと ZéilaDuncanを加えて4人で再結成。2009年にスタジオ・アルバムとしては35年ぶりとなる『Haih Or Amortedor』を発表。

Suicida
È Proibido Proibir
A Minha Menina
Dois Mil e Um
Ando Meio Desligado
Mande Um Abraço